1885年(明治18)~ 1966年(昭和41) 和歌山県に生まれる。 はじめ洋画を学ぶが、後に日本画に転向し无声会に参加。 1915年(大正4)からは院展を舞台に、自由かつ大胆な着想に基づく意欲作を発表した。 豪放なる大画面主義を押し進め、1928年(昭和3)には美術院を脱退。 翌年、「健剛なる芸術の樹立」を唱えて青龍社を設立し、以後同社を舞台に独自の境地を展開させた。
1934年(昭和9) 168.2×168.5 cm 「愛染」は愛し執着すること、また愛欲煩悩といった意味を持つ。つがいの鴛鴦が見つめあう一瞬をとらえ、細やかな夫婦の愛情を表現している。装飾性と写実が見事に一体化した名作である。
1940年(昭和15) 166.6×115.0 cm 画題にふさわしい華やかさと気品を漂わせた優れた作品。28歳の時、渡米をきっかけに、洋画から日本画に転向した異色の画家ともいえる龍子であるが、竹籠に生けた牡丹を大画面にとらえる技は、その龍子ならではの面目躍如たる作品といえる。