1872年(明治5)~ 1979年(昭和54) 岡山県に生まれる。1897年(明治30)に上京し高村光雲に師事。 兄弟子であった米原雲海に強く影響を受けながら独自の作風を開拓した。 はじめは主に仏教彫刻を制作し、1914年(大正3)には日本美術院同人となる。 その後塑造研究に打ち込み、昭和になると肖像彫刻、さらには古法に倣った寄木極彩色を取り入れた。 1962年(昭和37)、文化勲章受章。
1911年(明治44) 高68.0 cm 文殊菩薩の問いにただ黙して応えたという、維摩の姿である。 一文字に引いた口、睨み付けるような眼光など、全身に凄まじいまでの精気と緊張感がみなぎる。仏教彫刻において、田中の表現が最高潮に達した頃の力作である。